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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

JAPAN

五郎丸歩「僕が兄を超えることは、これからもない」
~ライバルがいたから強くなれた
ラグビー男の友情物語

人間はひとりでは成長できない。特にラグビーは、命を落とす危険もあるがゆえに、ライバルは時として、尊敬すべき対象になる。W杯に出た日本代表戦士が、ともに成長してきた「同志」を語る。
「世界一の男」に挑んだ
歴史を塗り替えた男たちは、常にライバルの壁を乗り越えてきた。
昨年9月、ラグビーのイングランドW杯で南アフリカから大金星を奪い、史上初の3勝をあげる快進撃を見せた日本代表のSH田中史朗(31歳、パナソニック)には、同W杯で世界一に輝いたニュージーランド(NZ)代表のアーロン・スミス(27歳)がいた。スミスは、スーパーラグビー、ハイランダーズ(NZ)で田中と同じポジションを争うチームメートである。
「僕が加入した2013年当時、僕以上に、アーロンのほうが僕を意識していたかもしれません。練習を離れたところでしゃべることは、あまりなかったですから」
スーパーラグビーは、現在のラグビーをリードするNZ、豪州、南アフリカなどのクラブが南半球を舞台に競う世界屈指のリーグ戦。田中は166cmの小兵ながら、攻撃をより優位に導く判断力や闘争心あふれるタックルが評価され、世界最高峰リーグの厚い扉を開いた、最初の日本人だった。

1年目、田中は16試合中3試合に先発。それ以外はスミスが先発した。
スミスは田中より5cm高い身長171cm。正確なロングパスで好機を広げ、瞬発力にも長ける。この頃、NZ代表デビューも果たして「世界屈指のSH」として評価を得ていた。
しかし田中の加入当初、スミスは個人プレーに走り、チームの一員として機能する意識が欠けていた。「ラグビー弱小国」と見られた日本から来た男にたとえ3試合とはいえ、先発を奪われたことにより、ラグビー王国のNZで、スミスは批判に晒された。
「オールブラックスなのに日本代表に負けて……何しているんだ」
翌'14年、田中はスミスのプレースタイルが変わったことに気づく。チームの勝利を最優先し、周囲を生かすパスプレーを身につけたスミスはレギュラーに定着。田中は先発を奪われた。その間、田中は練習休日も、厳しいサーキットトレーニングを継続したが、スミスの背中は遠ざかった。結局'14年は、17試合で1試合も先発できなかった。
同年7月、南アフリカで最終戦を終えた数日後、田中は2年目の試練に打ちひしがれながら、チームメートと杯を交わした。1次会を終えると、スミスから声をかけられた。
「バーで、1杯どうだ?」
ホテルのカウンターに並んで座ると、そこで田中は、スミスから頭を下げられたという。
「こうやって頑張れたのは、お前のおかげだ。ありがとう」
田中の胸には、複雑な思いが駆け巡った。
「アーロンは僕の手の届かない場所にいった。自分のショボさを感じて、悔しいです。でも、現役バリバリのオールブラックスの選手を、少なくとも自分は本気にさせることができた。アーロンの言葉があるから、今でも頑張れているんです」
ずっと勝てなかった
3年目の'15年、田中は先発こそ2試合だったが、途中出場でチームにアクセントをつけるスーパーサブの役割を果たし、ハイランダーズのスーパーラグビー初優勝に貢献。優勝決定後、スミスと肩を組み、記念撮影におさまった。お互いの力を認め合う2人には自然に笑みが浮かんでいた。
田中のチームメート、山田章仁(30歳、パナソニック)は、チームとして一度も勝てなかった屈辱をバネに変えてきた。

「5歳で福岡の鞘ヶ谷ラグビースクールでプレーをはじめてから、つくしヤングラガーズには中学卒業まで1回も勝てなかった。そこにいたのが、NECのFW、権丈太郎です。小倉高に進んだ僕と筑紫高に行った権丈とは対戦がありませんでしたが、福岡県代表、九州代表に一緒に選ばれ、国体にも出た。主将が権丈で、僕が副将でした」
権丈は筑紫高から早大に進学。当時の早大は権丈の同期に五郎丸歩(29歳、ヤマハ発動機)や畠山健介(30歳、サントリー)を擁した黄金期である。その中で権丈は、口数は少なくとも、密集戦で骨惜しみしないプレーを繰り返し、仲間の厚い信頼を得る。大学選手権決勝では、山田がいた慶大を破り、大学日本一に輝いた。山田が振り返る。
「僕は『どうしたら(権丈のいるチームに)勝てるのだろう』とずっと考えてきた。だから、ウェートトレーニングも中学から取り組みました」
山田は慶大時代、チームの全体練習にプラスして、個人的にプロのトレーナーからアドバイスを受け、肉体改造につとめた。鋭いステップは、すでにその頃から磨いていたが、チームとしては成績を残せず、在学中に一度も権丈のいた早大を破ることができなかった。
悔しい思いを抱えて練習を積み、早大の分厚い攻撃を受け続け、バックス選手に必要な技が磨かれた。大学卒業後、'10年にパナソニックに入社し、'13年に日本代表でデビュー。昨年のW杯のサモア戦では、勝利につながるトライも奪えた。
「権丈は早大でも主将をやって、リーダーシップがある。今はケガが多くて代表に入っていませんが、実力はあるので、一緒にプレーできたらうれしいですね。W杯に行った僕らの同学年には、堀江翔太(パナソニック)、山下(裕史、神戸製鋼)などもいる。権丈が入ることで、同じ学年でぐっと結束して、いいチームができると思います」




あの涙を忘れない
権丈と早大時代の同期にあたる五郎丸のライバルは、最も身近なところにいた。彼にとっては1学年上でトップリーグでプレーを続ける兄・亮(コカ・コーラウエスト)が幼少期の目標であり、心の糧だったという。

「3歳でラグビーをはじめたのも兄の影響です。兄はタックルに行っても全然倒れなかった。僕が佐賀工高2年で、兄が3年の時に出た花園で、試合中から泣いていた兄の顔は、13年たった今でも、忘れられません」
佐賀工高は'02年度全国高校ラグビー準々決勝で東福岡高に12-58と大敗している。その年、公式戦2戦2勝と相性もよかった相手に、まさかの不覚をとったのだ。
予想外の大敗の原因は弟・歩のふがいないプレーだった。自陣ゴール前で捕球した後、蹴りだす場面で空振りし、そのボールを奪われてトライを許すなど、信じられないミスを連発。兄・亮から試合中にほおをたたかれても、弟・歩は本来の自分を取り戻せなかった。
試合後、FWの中心選手だった兄をはじめ、先輩の青春を奪ってしまった責任を感じ、弟は泣きじゃくった。兄が振り返る。
「ラグビーであそこまで泣いた弟の姿は、今までを振り返ってもありません。それ以来、あの試合のことを話題として触れることはやめました」
花園から戻ると、歩は全体練習後、小城博監督(当時)とマンツーマンで特訓を続けた。キックを捕球し、蹴りだす練習を連日1時間以上続けた。五郎丸が振り返る。
「花園まで連れてきてくれた兄に、恩返しができなかった。でもどこかであの悔しさを取り戻したい、という気持ちは今でもある。その積み重ねで、ここまできました」
卒業後、兄は関東学院大、弟は早大へと兄弟の進路は分かれた。兄はレギュラーに定着できなかったが、五郎丸は1年から出場。立場は逆転した。だが兄の優しさに包まれて立ち直ることができた五郎丸は、今度は兄をいたわった。
W杯後の12月6日、ヤマハ発動機とコカ・コーラウエストがトップリーグで対戦。「兄弟対決」を期待して1万8000人が集まったが、リザーブにいた兄は出番なし。兄弟対決は実現しなかった。
「弟にも、ファンの方にも申し訳ない気持ちです」と自分を責める兄を、五郎丸はフォローした。
「お互いに試合に出れば個人ではなく、チームの勝利を優先します。だから対戦できなかった無念とかはない。僕は今、注目してもらっていますけど、僕にとって兄の存在は変わらない。兄を超える、ということはこれからもないですね」









五郎丸歩が副将として支えた、日本代表主将のリーチマイケル(27歳、東芝)は「僕には特定のライバルはいません。あえて言うなら自分自身」という。その弱い自分を鍛えたのが、札幌山の手高時代の恩師・佐藤幹夫監督なのだと明かす。

「僕に自信をつけてくれた人です。よく食事をご馳走になりましたが、決まって『将来はトップリーグに入って、日本代表になって、キャプテンやるんだぞ』と言われた。本当にそうなったので、不思議な感じもします」
W杯で攻守に見せた驚異のスタミナは、佐藤監督の叱責にルーツがある。高校3年の時、リーチは高校日本代表に選ばれ、'06年7月に豪州に遠征。帰国後そのまま、高校の合宿に合流した。リーチが振り返る。
「体がボロボロだったので到着した朝、先生に『休んでいいですか』と聞いたら、『ダメだ。それでは自分のためにならない』と言われ、その日の午後も試合に出たんです。あれ以来、どんな状況でも試合に出る今の精神ができあがりました。昨年のW杯で佐藤監督をサモア戦、米国戦に招待したんですが、勝った試合を見せられてよかった」










「弱さ」を教えてくれた人
日本代表の強力スクラムをリードした畠山健介は、リーチ同様、恩師の愛のムチと戦い続けた。

「サントリー入社1~2年目のFWコーチが、今ヤマハ発動機を指導している長谷川慎さんです。当時の僕は、スクラムが不得意で、その分野を『もっとやれ』といわれることを、受け入れることが難しかった」
入社当時、畠山は120㎏を超える巨漢だが軽快に動けるフィールドプレーを得意としていた。長谷川氏のスクラムへのこだわりは当時の畠山にとっては越えられない壁で、心の中の「仮想ライバル」だった。
「スクラムは強くなくても、フィールドプレーで補えばいい」という畠山の考えが、元日本代表でPRの長谷川氏には歯がゆかった。サントリーを離れる直前、同氏は畠山を呼び、こう諭した。
「ハタケ、スクラムをちゃんとやらないとダメだぞ」
辞めるにもかかわらず、耳の痛いことを言ってくれたことに期待を感じた畠山は、チーム練習以外の時間に、首や腹筋を徹底強化。日本代表のスクラムをリードする存在に急成長した。
昨年10月、W杯のサモア戦はそのスクラムで完勝。勝利インタビューで「清宮(克幸)さんや慎さんに育てていただいた」と話すと、後日、長谷川氏から連絡があった。
「今度、おごってやるぞ」
今は、お互いトップリーグで優勝を目指しており、再会のメドは立っていない。それでも、逃げそうになる自分の弱さを克服できたことに「乾杯」する日を、2人は心待ちにしている。




















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  1. 2016/01/23(土) 03:29:22|
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大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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