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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

選手

帝京大学7連覇!!

勝った帝京大の岩出雅之監督は試合直後のインタビューで東海大へ感謝の気持ちを伝えた。チャレンジャーの渾身のファイトが自分たちの力を引き出してくれた、と。
真紅のジャージーが、学生相手にこれだけ出し切る試合を久しぶりに見た。青いジャージーを真っ向勝負で倒し、押し込み、力を結集して最後は突き放した。27-17(前半:5-5)。王者は学生最高レベルのフィジカル戦に堂々と勝って、大学選手権での優勝記録を7連覇に伸ばした。
先制点はチャレンジャーだった。スクラムやモールで圧力をかけ続けて迎えた前半31分。しばらく敵陣深くに居座った後、3度目のゴール前ラインアウトでモールを押し込んだ。帝京大に反則を重ねさせた時間帯は、足を止めてパワー全開。自分たちの強味を前面に出せた時間帯だった。
しかし、その直後のキックオフから王者は同点トライを奪った。蹴り込んだキックオフにプレッシャーをかけてボールを手にすると、攻撃を重ねて最後はWTB竹山晃暉が左タッチラインを駆けた。さすがの集中力だった。
同点で迎えた後半立ち上がり。帝京大は、この大事な時間帯を制して勝利を手にした。最初のキックオフでFLマルジーン・イラウアが猛タックルで圧力をかけた後、反則を誘う。王者はPGで勝ち越し、その6分後にはキックカウンターから防御の隙を突いて大きくゲイン。最後は途中出場のFB重一生がトライを決めた(コンバージョンも決まり15-5)。点差を広げたところで赤いジャージーはいつものようにダイナミックに攻め始め、それを受けた東海大・藤田貴大主将は「相手が思いきって攻め出したことでフィットネスを奪われていった」と話した。
後半19分、相手反則で得たPKを深く蹴り込んだ帝京大はラインアウト後のモールを押し切ってHO堀越康介がトライ、勝負を決めた。東海大も残り7分になって攻撃を重ねてトライを返し、ラストプレーでもBKが走り切ったが、スコアがひっくり返ることはなかった。
敗れた東海大の木村季由監督は力を出し切った学生たちへ敬意を払ったが、「接点(での勝負)は互角ではなかった」と言った。
「ブレイクダウンに入ってくる加速感が違いました」
藤田主将もその部分の激しさと、メンタルの強さに屈したことを認めた。
7連覇を達成した岩出監督は「久々に厳しい決勝戦でした。重みのある試合を経験できた。そういう試合に勝てて嬉しいですね。1年間やって来たことを学生がやってくれました」
主力BKの森谷圭介が数日前の怪我で欠場するなどの理由で「すべての仕込みが狂った」ものの、「試合内容は変わると思いましたが、勝利への確信は変わりませんでした」。積み上げてきたものへの自信をあらためて示した。
「仲間とともに厳しさを楽しんでいこうと言って試合に臨みました。相手にプレッシャーをかけたが、相手のプレッシャーも受けた。それでいい試合になった。だけど仲間を信頼して戦えたので勝てた」
怪我のため僅か4分だけの出場だったHO坂手淳史だったが、主将は極上のフィナーレを迎えて最高の気分だった。

帝京大後半修正 岩出監督の選手把握力
帝京大の7連覇の歴史の中で、最も苦しい試合だっただろう。勝因の一つは岩出監督の選手把握能力の高さだと思う。あらためて敬意を表したい。
負傷の坂手主将、不調だった副将・金田がリザーブ。直前のケガでゲームメーカーのFB森谷までメンバーから外れ、核を欠いた。序盤は東海大のラッシュにさらされ、チームは間違いなく浮足立っていた。ところがハーフタイムに監督は「勝利に固執し過ぎ」と指摘し、選手が見事にギアを入れ替えた。勝負を分けたのは、後半開始から7分までの帝京大の攻撃だった。
勝利に固執、の最たる例がSO松田だろう。3年生司令塔は手堅いゲームメークを考えるあまりミスも多かった。これを試合中に指摘し変化を促せるのは、選手の特徴を把握しているからこそ。つまり、選手の型優先で、自分の型にはめない指導者だから、学生スポーツでの7連覇が達成できたのではないか。
東海大はモールやスクラムという強みを生かし序盤は流れをつかんだが、その時間帯に得点を奪い切れなかったことが悔やまれる。序盤に得点を重ねていれば、もっと王者に焦りが生まれていたはず。前半をリードして折り返すことが、常勝・帝京大を止める必要条件だとみている。

昨年秋、日本中を沸かせたラグビーワールドカップ(W杯)イングランド大会。W杯で初めて3勝を挙げた日本代表のメンバーに、筑波大学4年生の福岡堅樹選手(23)がいます。将来は医師を目指すという福岡選手には、浪人時代に大きな「決断」がありました。
初めてのW杯で、2戦目のスコットランド戦に先発しました。試合の時は感じませんでしたが、振り返ると、ほかの選手たちは逆転勝ちした南アフリカ戦の疲労があったように思います。他の試合と比べると、明らかにミスが多かった。自分としても相手を崩すプレーがなかなかできず、いい場面でボールをもらうことができなかった。試合にも負け、完全燃焼かといわれるとそうではありません。
でも、日本の歴史でこれだけW杯で勝利したチームは初めて。帰国してからの反応はすごかった。地元の福岡では声をかけられるようになりました。チームに同行できて、つらい思い出も一生語り合えるような貴重な経験ができたことは大きな財産です。エディさん(エディ・ジョーンズ前ヘッドコーチ)の練習は本当にきつかったので、もう1回したいかと言われれば遠慮したいですけど。
■父親の影響で始めたラグビー、けがで出会った医師の存在
5歳から地元のクラブでラグビーを始めました。高校と大学でラグビー選手だった父親に連れられて。小さい頃から足が速かったので、ポジションは中学生からウィング。スピードで相手を振り切り、触らせずに抜き去った時は爽快です。
ただ、中学生の時はラグビーで上を目指そうとは思っていませんでした。いくつかの高校から誘いがありましたけど、開業医の祖父の影響で医学部に行きたいと思っていたので、高校は文武両道の県立福岡高校に進みました。
高校では1年生からレギュラーで出させてもらいました。でも、けがも多かった。2年生で左ひざ、3年生で右ひざの靱帯(じんたい)を断裂しました。3年生の時は花園(全国高校ラグビー大会)の福岡県予選が迫っていたので、手術をせず、テーピングでガチガチに固めて試合に出ました。花園にも出場できたので、3カ月間、靱帯がないままプレーをしました。
両ひざの手術をしてくれたのは同じ整形外科の先生です。何事にも明るく、ポジティブに考えさせてくれる人で、「この先生の言う通りにすれば、しっかり復帰できる」と信じさせてくれる温かさがありました。先生に出会ったことで、より医師を目指す気持ちが強くなりました。
■浪人時代の受験校選択、浮かんだ三つの道
志望校は国立大の医学部を考えていたので、強いラグビー部がある筑波大を目指しました。だけど、花園が決まった3年生の秋の時点で現役の合格は諦めていました。授業の範囲の勉強しかしなかったので、センター試験は医学(筑波大は医学群)の基準に全然足りなかった。2次試験も、解けないという感じではなかったけど、点数が足りなかった。
浪人中は予備校に通っていました。勉強量は少ない方だったと思います。集中力が長く持つ方ではないので、帰宅してからは1~2時間勉強するぐらい。授業も自分に必要な部分をしっかり聞いて、問題を解き、理解を深めることを繰り返しました。
受験勉強の一方で、手術をした右ひざのリハビリを並行してやっていました。大学のラグビー部に入った時についていけるよう、ジムで水泳やウェートトレーニングもしました。ラグビーの試合もテレビやDVDでよく見ました。トップリーグ、大学、高校ラグビー。自分ができない状況で試合を見ると、またプレーしたくなる。筑波大でラグビーをしたいという気持ちが大きくなり、受験勉強のモチベーションになりました。
センター試験後に出願する国立大の2次試験で、前期は筑波大の医学にしました。後期の受験校をどうするか、すごく迷いました。選択肢としては、厳しい条件になっても筑波大の医学を再び受け直すか、レベルを下げて合格の可能性の高い国立大の医学部を受験するか。もう一つは筑波大の医学ではない学群を受ける選択がありました。センター試験は自己採点で9割弱ぐらいの点数を取れていたので、予備校の先生からは「筑波にこだわらなければ、ほかの国立大の医学部は大丈夫」と言われていました。両親にも相談したし、自分でも悩みました。
■「後悔のない選択をしよう」
その時、心の中にあったのが、「一番、後悔のない道を選ぼう」ということでした。そう考えた時、最も後悔すると思ったのが、ラグビーを捨てる選択。「ラグビーで自分はもっと上にいける」という思いがこの時期にはあったので、筑波以外の大学を志望する選択肢は消えました。
次に「2浪してしまったら」という選択肢。2年間、体を動かさない状態になってしまうと、第一線でプレーする身体に戻すのは厳しい。「ラグビーを本気でしたいなら、ラグビーに集中するしかない」。結果、筑波大の別の学群を受けることに決めました。両親も「ラグビーを引退した時点で、医学の道に進みたいと思っているならサポートする」と言ってくれました。前期試験は数学で失敗し、医学群の合格には届きませんでしたが、後期試験で情報学群に入学することができました。筑波大では、1年生の秋から試合に使ってもらえました。2年生の春には日本代表に選ばれました。
卒業後はプロに入るつもりです。その後は2019年のW杯、20年の東京オリンピックまでラグビーに集中します。二つの大会は経験的にもフィジカル的にもキャリアのピークで迎えられると思うので、そこで成功できれば自分としては満足。ラグビーを引退して、スポーツ整形の医師を目指すつもりです。日本代表のチームドクターになれたら、これほど説得力のあるドクターはいないと思うので、いいなと思っています。
受験生には、後悔しない選択をしてほしい。志望校が難しかったり、両親や先生から色々言われることもあったりすると思うけど、考えて選んだ結果なら納得がいく。難しい道でも、挑戦し続けてほしいと思います。諦めず、後悔しない道を選んでください。

ふくおか・けんき 筑波大学情報学群情報科学類4年生。福岡県古賀市出身。5歳から「玄海ジュニアラグビークラブ」(福岡県宗像市)でラグビーを始め、県立福岡高校3年生の時に全国高校ラグビー大会出場。筑波大では2013年、2015年の全国大学選手権準優勝に貢献。日本代表キャップは17。50メートルを5秒8で走る俊足が持ち味。23歳。
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  1. 2016/01/11(月) 03:22:27|
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kanakita

Author:kanakita
大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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