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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

選手

エディさんは自分の退任で日本協会に喝を入れているのかもしれません。

バスケ協会の川淵さんのように、ラグビー経験者じゃない組織マネジメントに長けた人間を入れたほうが良い。総退陣で。
W杯後に日本を去るエディー・ジョーンズHC 復帰の可能性を示唆
いまや世界中から注目されているエディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチ


現在イギリスで開催されているラグビーワールドカップ後に日本代表ヘッドコーチを退任することが決まっているエディー・ジョーンズ氏が8日、同大会公式サイト(ラグビーニュースサービス)の単独インタビューに応じ、「日本に帰ってくることはいつでも視野に入れている」と日本での現場復帰の可能性を示唆した。
ジョーンズ氏はワールドカップ後、スーパーラグビーで戦うストーマーズ(南アフリカ)の指揮官に就任することが発表されたばかりだが、契約期間は3年とみられている。もし、途中で辞任や解任がなく、契約をまっとうした場合、2018年8月にはフリーの身となるが、ワールドカップで過去1勝しかできなかった日本代表を鍛え、優勝候補の南アフリカ代表を倒すという歴史的偉業を遂げた名将ジョーンズは、いま世界中の多くのラグビー協会やクラブから注目の的だ。実際、イングランド代表の次期ヘッドコーチ候補として名前が挙がっていた。
2019年のワールドカップ日本大会に向けて、ジョーンズ ヘッドコーチの再指揮を熱望するファンは多いが、本人はインタビューで日本への思いを次のように語っている。

「日本復帰はいつも選択肢の一つ。日本のラグビーは私の人生で大きな部分を占めている。日本人の母、そして妻を持ち、日本のチームにも強いつながりを感じている。日本でのコーチ人生は私のキャリアで一番喜びを感じた期間だ。だから、復帰は考えている」
しかしながら、挑戦することを恐れないジョーンズ氏は、南アフリカ代表やフランス代表で指揮を執ることにも興味があることを明かしている。
そして、日本ラグビー界に変革を求め続けてきたジョーンズ氏はこんなことも言っている。

「もし日本がいま以上にレベルアップしたいなら、現状維持では駄目だ。私が退任することを決めた理由もそこにある。いまのままで2019年大会の準決勝にいけると思っているなら、クレージーとしか言えない。絶対にありえないことだ」
日本代表の次期指揮官は早ければ年内に選定されるが、日本ラグビーフットボール協会ははたしてどう決断し、動くのか……。









W杯、なぜ試合後の日本のロッカー室は綺麗なのか


強いチームには必ず、精神的な支柱がいる。とくに大舞台では。ラグビーのワールドカップ(W杯)で歴史的勝利を重ねた日本代表のそれは、前主将の広瀬俊朗(東芝)である。ラグビー選手の夢と表現していたW杯代表となり、いまや空前のラグビー人気を創りだした。「(W杯を)楽しんでます。自分たちの追い求めていた姿となり、めちゃくちゃうれしいですね」と言葉に実感を込める。

今月17日、34歳となる。スタンドオフに加え、ウイングもできる万能型だが、戦力の充実もあって、まだ1度も試合メンバーには入っていない。「そりゃ、悔しいですよ。メンバーじゃないと告げられて、10秒ぐらい、クソッと思って、その部屋を出たら切り替えます。人前で嫌な顔は見せません。メンバーから外れても、(日本の勝利のため)次にやるべきことがありますから」

東芝の後輩となるリーチ・マイケル主将を陰で支え、チームのコミュニケーションの活性役となっている。練習では日本の対戦チームのキー選手役をすることも。サモア戦の前にはサモアのトゥシ・ピシ役に徹し、愛称トシは「トシ・ピシって呼ばれていました」と笑うのだった。

練習外では、モチベーションを上げるための試合前の映像を発案したり、チームメイトにさりげなくゴミ拾いを促したり。「ちっちゃいことが大事だと思うんです」という。じつはW杯試合後、日本代表は選手たちがロッカールームをきれいに掃除している。

歴史的勝利の南アフリカ戦のあとは数人だったのが、スコットランド戦ではノンメンバーの37歳の大野均(東芝)が真っ先に掃除をし始めた。先のサモア戦ではほぼ全員の選手とスタッフが一緒にロッカー室を掃除した。広瀬が説明する。

「自分たちが使ったロッカーは自分たちできれいにしようということです。僕たちは偉くも何ともない。感謝の気持ちを込めて、掃除をしよう。ちゃんと足元を見ようということですね」

エディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)やリーチからの信頼度は抜群である。大金星に浮かれる南ア戦の後は、リーチに頼まれて、「気持ちを切り替えよう」と訴えた。そういえばジョーンズHCが就任した3年半前、「日本の新しい歴史を創ろう」と主将を任された。

なぜかといえば、その前年の11年の東日本大震災後のチャリティーマッチ、日本代表×トップリーグ選抜の試合前夜の広瀬の姿に感銘を受けたからだった。トップリーグ選抜主将の広瀬はチームメイトを集め、靴磨きの道具を持ち出して、みんなでスパイクを磨いていたのである。おそらく、その時、広瀬を精神的支柱としたジョーンズHCのW杯メンバー作りは始まっていたのだろう。

「あらゆる面でチームは成長したんじゃないですかね。一番はマインドセット(心構え)のところです」と広瀬は言う。1次リーグの最終戦は米国戦(11日)。最後の最後まで試合出場とチームの勝利を目指す。できる限りの準備をする。米国戦に向けた練習再開の日、真っ先にグラウンドに飛び出したのは広瀬とリーチだった。

メンバーから外されてもくさらない。「もう腹立つなあと思っても、次の役割は絶対、ある。全部、こんなの勉強なんです。人生において」。フルバックの五郎丸歩(ヤマハ発動機)ばかりが脚光を浴びているが、こういった“リアル・リーダー”もまた、チームの躍進を支えているのである。

もう一度、「楽しいですか?」と聞いた。「楽しいですよ」と広瀬は笑顔で繰り返した。

「楽しむしかないでしょ。どんな状況になっても、楽しいことってあるんですよ」


広瀬はいい顔つきになった。タフになった。日本代表は歴史を塗り替えた。人と機を得て、日本ラグビーが大きく変わる。










日本代表の守護神・五郎丸歩の矜持

ラグビー世界一決定戦に抱く思いとは

南アフリカ代表からの歴史的勝利以来、ラグビー日本代表への関心がかつてなく高まっている。スポーツメディアだけではなく、テレビのワイドショーやバラエティー番組でも、「ラグビーワールドカップ(RWC)」という言葉を聞かない日はない。僕も一時帰国して、激変したラグビー環境に戸惑ったほどである。なかでも飛び切りの人気を誇るのが五郎丸歩だ。南アフリカ戦ではチームの勢いを引き出す快走、プレースキックにと大活躍し、24得点をあげた。続くスコットランド戦でトライを防いだ勇敢なタックルは、その人気をさらに高めた。185㎝、99㎏という恵まれた体格も、強豪国のフルバックとそん色なく、10月1日現在、RWC2015の個人得点記録で首位に立つ(29点)。今や、GOROMARUは、世界に知られる存在となっているのだ。


子供たちにラグビーを続けてほしいと願う
ラグビーへの愛情はどこまでも純粋

試合後のインタビューなどでの落ち着いた語り口も日本での人気の要因だろう。もちろん、整った顔立ちも。これまでラグビーに関心のなかった皆さんは「ラグビーには、こんないい男がいたのか」と驚かれているかもしれない。しかし、そのイケメン・キャラは今に始まったことではない。五郎丸歩はずっとイケメンだったのだ。

2009年9月にチケットぴあのWEBサイトで「トップリーグ男前列伝」という企画の取材を担当したことがある。早稲田大学を卒業した五郎丸が、ヤマハ発動機ジュビロに加入して2年目のシーズンだった。ヤマハ随一のイケメン選手ということでの登場だった。高校、大学と見てきた選手だが、初々しい受け答えと透き通るような肌の綺麗さ、端正な顔立ちがまぶしかったのを憶えている。以来、「ラグビーにイケメンはいますか?」という質問を受けるたび、五郎丸の名をあげてきた。

人見知りで、初対面の人には「怖い」という印象を与えることが多いようだが、打ち解けると滑らかに語り始める。茶目っ気もあり、南アフリカに勝利したブライトンのホテルの入り口に多数のカメラが並んだときは、笑顔でその様子を写真に収めていた。ツイッターか、フェイスブックで紹介するためだろう。男前列伝のインタビュー時は、ヤマハ発動機で主にラグビーをする契約社員。ほぼすべての時間をラグビーに注ぎ込んでいた。「僕が求めていた生活です。ラグビーに集中したかったし、子供達への普及活動もしたかった。ラグビーって仲間がたくさんできるでしょう。子供達にラグビーを続けてほしいんです」。
五郎丸歩は、1986年3月1日、福岡で生まれた。3歳から2人の兄とラグビースクールに通い始め、小学4年から6年生の3年間はサッカーに打ち込む。これが現在のプレースキックの正確さにつながっているようだ。中学でラグビーに戻るのだが、その理由を「サッカーはボールを取られても、そのままやり返せずに試合が終わる。ラグビーはタックルなどでやり返すことができる。負けず嫌いの僕に合っている」と説明してくれた。

佐賀工業高校では3年連続で全国高校大会に出場し、早稲田大学では4年間で3度の大学日本一に輝いた。ヤマハ発動機が一時期、強化を縮小したため社業との両立をする正社員となったが、不動のフルバックとして試合に出続けている。トップリーグのレギュラーシーズンの得点記録は、2014-2015シーズン終了時点で998点。最後の試合で比較的簡単なゴールを1本はずし、1,000点に届かないところが人間臭く、好感を持った人が多かったかもしれない。2005年に日本代表デビューを果たしながら、2007年、2011年RWCの日本代表メンバーには選出されなかった。悔しい思いは当然だが、「自分の力が足りなかった」と素直に認める。2011年12月、エディー・ジョーンズヘッドコーチ体制がスタートすると再び選出され脚光を浴び始めた。

念願のRWCデビューとなった南アフリカ代表戦前日(9月18日)、報道陣の取材に応じた五郎丸はかつてない緊張感を漂わせていた。「これまでにない緊張感ですね。子供のころからの夢でしたから。明日も緊張すると思います」。翌日、桜のエンブレムが誇らしげに輝くジャージをまとい、苦楽を共にした仲間たちと肩を組み、国歌斉唱をする姿があった。あふれ出す涙が頬をつたう。気持ちが入りすぎではないか、萎縮するのではないか、そんな心配は無用だった。五郎丸は充実感あふれる表情で、走り、蹴り、タックルし、夢の舞台を思う存分駆け回った。


もっとも過酷なラグビーで勝つことで
日本のスポーツ界全体に影響を与えたい

大会前、五郎丸はこんなことを言っていた。「今回のRWCで我々は新たな歴史を作ろうとしています。もっとも過酷なラグビーというスポーツで勝つことによって、日本のスポーツの歴史が動く気もしています。日本のスポーツ全体が、やればできるという感覚になってほしいですね」。有言実行。見事に歴史を作ってみせた。その顔は、RWC開幕後、さらに精悍さを増している。正確なプレースキックを生み出すルーティンワークについて問われると、必ずメンタルコーチの荒木香織さんの名前を出し、サポートしてくれた人への感謝も忘れない。長い時間をかけて熟成してきた選手だからこその余裕を感じさせている。

2009年のインタビューでは、将来の目標についても問いかけてみた。答えは「2019年のワールドカップ出場」だった。実は2009年7月に2019年大会の日本開催が決まっていた。ただし、五郎丸は当時、RWCに出られるかどうかわからない存在だった。それが10年後を語ったのである。「きっと若い選手達ばかりだから、それに負けない激しいプレーヤーでいたいです」。とことんラグビーを愛し、真剣に取り組んでいるからこその言葉だろう。

今は4年後のことなど考えず、目の前のRWCに集中しているが、スコットランド戦後には、チームメイトの気持ちを代弁している。「2019年のために日本を飛躍させよう、日本のラグビーを復活させようと4年間準備をしてきました」。そのために懸命に戦っているわけだが、そこに悲壮感はない。報道陣から相手チームにマークされる存在になったことを問われると、笑顔で「楽しんでいます」と答えた。自分の目の前にトップ選手たちが立ちはだかるシチュエーションに充実感をおぼえる。それも一つの才能だろう。

日本代表デビューから10年を経たとはいえ、まだ29歳である。2019年大会出場は現実的な目標だ。日本ラグビーの未来のため、五郎丸歩の挑戦は終わらない。


















































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  1. 2015/10/09(金) 03:23:55|
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Author:kanakita
大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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