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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

選手



順風満帆だった学生時代


物心がついてすぐにラグビーをはじめ、県内の進学校から慶応義塾大学に進学しました。
学生時代は年代別代表に選出される実力者で、顔立ちも整っていたこともあり、話題を呼びました。

山田章仁さんがプロしかも海外をしっかりと意識し始めたのは大学2年生の頃です。
その年の春から夏にかけて海外留学を行い、ラグビーも海外のチームに所属していました。

海外のチームメイトとコミュニケーションを取れるようになり、またプレーでも信頼を持たれ始めていた頃に、留学の費用はどうやって払っているかということを聞かれました。
学生ということもあり山田章仁さんはご両親から費用を負担してもらっていました。

しかし海外のチームメイトはアルバイトなどして自分で払っている人も多く、そんな中で両親からとはいえませんでした。

ここでの恥ずかしさ?情けなさ?から、自立しその上で世界と渡り合いたいと思うようになったのです。

プロ入りと挫折

海外の経験を経てからは自身のPRムービーを制作し、海外のチームに送るなど積極的にプロになるための活動を行いました。

結果としてはオファーをもらえることはなく、日本のチーム(ホンダ)に所属することとなります。
ただし、一般的であった「社員選手」ではなく「プロ選手」としての契約を結び、また海外にチャレンジできるように複数年契約は行いませんでした。

プロに入ってからの最大の挫折は2011年に起こりました。

代表落選。

大学での活躍に加えプロでも通用していた山田章仁さんはこの年の代表には選ばれることはありませんでした。

この出来事から自分のスキルを磨く意味と自分をもっと色々な人に知ってもらうためにプロスポーツ選手としては異例の他種競技への参加を行いました。参加したのはアメリカンフットボールです。

念願の代表、そしてスーパーラグビーへの挑戦

2013年。山田章仁さんの努力がみのり日本代表に選出され、初出場もはたされました。
そして今年、山田章仁さんは大学生の頃から意識していた海外でプロとして活動する機会を得ました。

スーパーラグビー「フォース」への加入です。

今回は公式戦への出場機会はなかったのですが、山田章仁さん本人としては得るものがあったと語っています。

・コミュニケーション
コミュニケーションという部分では留学経験が活かされ不自由することはなく、そのおかげで、コーチたちとしっかりと情報交換でき、学ぶことができたこと。

・プロフェッショナル
一人ひとりが積極的に学ぶ姿勢を貫いていて、よりプロを意識させられる環境で刺激を受けることができたこと。

・シンプルにやり切る
シンプルに練習でベストを尽くすこととそこに立ち返れたこと。

海外での経験を活かして帰ってきた山田章仁さんに注目です。
9月に行われるワールドカップでも活躍されることは間違いないでしょう!






「戦後70年」


「たくさんの生徒見送った」=戦後70年、苦しい思い今も―特攻基地の元教官・福岡

太平洋戦争末期、特攻隊が出撃した知覧特攻基地(鹿児島県知覧町)で教官として隊員を指導した永野定さん(91)=福岡県朝倉市=は多くの生徒を死地に送り出した。

戦後70年たった今も、「たくさんの生徒が死んでいくのを見送った。自分で行った方がましだと思った。生き残って申し訳ない。情けない」と苦しい思いを抱えている。


永野さんは1940年4月、15歳で東京陸軍航空学校に入校した。開戦後は飛行戦隊に配属され、爆撃機の搭乗員となった。ニューギニア戦線で負傷し、国内の病院に送り返された。

戦争末期、空戦の経験がある永野さんは知覧基地で教官として、年上の「特別操縦見習士官」らに特攻機の操縦を教えた。「時間がなかったので、とにかく毎日敵艦に突っ込んでいくための訓練をした」という。

生徒の1人が出撃前夜、別れを言いに永野さんの部屋を訪れ、「無駄死にじゃないですよね? 」と聞いた。「行くな」と言いたかったが、「君が選んだんだろう」とだけ答えた。後悔が残った。特攻隊員たちのほとんどは笑顔で出撃して行った。自身も特攻要員として埼玉・熊谷へ行ったが、待機のまま21歳で終戦を迎えた。

「みんな『国のため家族のため』と。たとえ不満があっても口に出せるはずがない。そんなふうに教育されていた」。永野さんは長年、戦争について多くを語らなかった。「どんなに話をしたってあのときの気持ちや戦争のむなしさは、経験した者にしか分からない」と話す。

永野さんが戦争の思い出を少しずつ語るようになったのは、2010年に脳梗塞で倒れた後。自宅で介護する長女幸子さん(68)にとって、父は「怖い人」で、戦争の話題を出せずにいたが、病気をきっかけに、少しずつ聞くようになった。

永野さんは意識が戻ったとき、周りを死んだ戦友たちが取り囲んでいたと言っていたという。幸子さんは「夢かもしれないが、今でも心に戦友たちのことが深く刻み込まれているんだと感じた」と振り返る。

幸子さんは永野さんから「葬儀のときは、二度と戦争を起こさないでくれという自分の思いを参列者に伝えてほしい」と託されている。「父は戦後もずっと苦しんできた。自分の子や孫にそんな思いは決してさせたくない。その思いを引き継ぎ、死ぬまで戦争に反対していくつもり」と話した。



生きれるという最大の自由に感謝したいと思います。

























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  1. 2015/08/17(月) 04:30:23|
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プロフィール

kanakita

Author:kanakita
大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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