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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

ワールドカップ



沖土居稔(おきどい・みのる)
生年月日:1965年2月7日。広島県出身
日本代表キャップ数:4
RWC出場歴:1987
ポジション:WTB


ラグビー略歴:広島工業大学附属工業高校→福岡工業大学→サントリー。九州代表、学生日本代表。AジャパンXV。1997年度で引退。現在は、サントリーコーポレートビジネス株式会社勤務
キャップ数4という数字が不思議なほどに、「沖土居(おきどい)」という名は、多くのラグビーファンの記憶に深く刻まれています。1985年、福岡工業大学3年生で出場した全国大学選手権1回戦の明治大学戦では自陣から55mのロングPGを決めて全国に名を知られ、1987年のRWCでは、オーストラリア代表戦で約46mのロングDGを決め、その年、来日したオールブラックスからは、日本人初のトライを奪いました。その後はサントリーでも活躍した沖土居さんは、輝かしい時代を明るい口調で振り返ってくれました。

RWCメンバー入りは、サントリーの
新入社員研修中に新聞で確認!

僕は広島の高校でラグビーを始めたのですが、チームはあまり強くなく、自由にやらせてもらっていました。本格的にコーチングを受けたのは、大学に入ってからですね。
福岡工業大学には京都の伏見工業高校や、大阪工大高校など強豪校のメンバーもいて、カルチャーショックを受けるくらい、目新しいことを教えてもらいました。大学2年生から3年生にかけて自分でも実感するほど伸びた気がします。ポジションはWTBでした。3年生で、日本代表を目指す若手で編成された「AジャパンXV」というチームに参加し、オーストラリア遠征に行きました。その翌年、アジア大会の日本代表メンバーに入ることができました。
大学選手権での55mPGで、注目してもらえるようになったのですが、高校の通学時に、強風が吹きつける橋を自転車で渡っていたので、足腰が鍛えられたのかもしれません。子供の頃から、水泳、陸上、バスケットボール、卓球など、さまざまなスポーツ大会に出ていました。身体は小さかったけど、運動は得意でした。
キック力が先行した感じはありましたが、そのおかげで選抜チームにも入り、サントリーに入る道も開けたわけです。
1987年RWCのメンバー入りの知らせを受けたのは、サントリーの新入社員の研修中でした。箕面(大阪)のトレーニングセンターで、新聞発表で知りました。そんな時代でしたね。サントリーの同期入社の栗原誠治(早大OB)も選ばれていて、会社の仲間が祝福してくれたのを覚えています。

公式戦で初めて狙ったドロップゴールが成功
精根尽き果てたオーストラリア代表戦

この大会は地域予選なしの招待大会で、一次リーグの相手は、アメリカ、イングランド、オーストラリア。僕はアメリカには勝てるだろうと思っていました。結果的に負けたのですが、内容的には、プレースキックが入っていれば勝っていました(スコアは、18-21)。当時の日本はプレースキッカーを重視していない面がありましたけど、では、僕が出ていれば確実に決まったかと言えば、それは分かりません。監督とすれば当然のメンバー編成だったと思います。
僕は2試合目まではメンバー外で、スコアをつける裏方でした。試合を見ながらスコアをつけるのは初めての経験でした。アメリカ、イングランドに連敗したあと、宮地克実監督から、「次、行くぞ」と言われて、身体が震えましたね。世界のラグビー関係者やファンの視線が注がれる大会ですよ。しかも、強豪国オーストラリアとの試合に出るわけですから。
試合当日の国歌斉唱のときは、涙をこらえるのが大変なほど感動しました。連敗の後で、首脳陣も選手にも、もう後がないというプレッシャーがありました。このまま大敗を続けたら、日本ラグビー自体が否定されてしまう。そんな気持ちもありました。
開始1分にPGを狙う機会があり、約40mの難しい角度が成功したのが大きかった。あれで僕もチームも楽になったと思います。無心で蹴ることができました。後半には、約50mのドロップゴールを成功させたのですが、実は公式戦では初めて試みたものです。練習ではそのくらいの距離から決めていたのですが、自分でも驚きました。それは良かったのですが、やっぱり勝ちたかったですよ。
RWCは、あらゆる意味で上には上がいると痛感する大会でした。

2019年大会では日本代表の歴史を伝え
元代表選手が尊敬されるようなセレモニーを

RWCに出場したことは、一生ついてくることだし、その責任は感じます。仕事で得意先に行っても、経歴を知っている人が歓迎してくれたりする。ありがたいし、光栄なことです。頑張っていた時代があったからこそ、いまも頑張れる。昔の自分に励まされますね。
振り返ってみても、RWCの空気というのは、すごいものがありました。初めてオーストラリア代表との試合に出たときは、体に力が入ってしまったのか、ものすごく消耗しました。僕は体力には自信があるほうだったのですが、あの時は、ほんとうにしんどかった。精根尽き果てましたね。
2019年には、あの大会が日本に来るのですよね。今の若い選手達はそれを目標にできるし、代表強化のシステムも変わってきますよね。現在の日本代表も一時世界ランキングが9位まで行きましたね。
エディー・ジョーンズさん(現日本代表ヘッドコーチ)は、僕らが現役の頃からサントリーのコーチに来てくれていましたが、日本人に合った練習を考えてくれたし、各個人をしっかり見てくれています。僕にもいいアドバイスをくれました。
日本代表はスクラムも強くなりましたね。 昨年秋(2014年11月)のマオリ・オールブラック戦もあと一歩で勝てそうでしたが、トップレベルの外国人選手は最後の15分の集中力が凄まじい。日本もあれを学べればもっと強くなると思いますね。
2019年大会のときは、僕は54歳? まだ元気でしょうから、できるだけたくさん観戦したいです。僕は1987年大会の観戦チケットを今も持っています。あれから32年で、日本で開催できるようになったかと思うと、感慨深いですね。2019年大会のチケットも取っておきたいな。それだけでも嬉しいです。
できれば、開会式で過去の日本代表の歴史を振り返るようなセレモニーがあればいいですね。1999年のウェールズ大会ではレジェンド達がグラウンドを一周したようですが、日本も元日本代表選手やRWCに出場した選手が尊敬され、子供達の目標になる存在にしていかなくてはいけないと思います。できたら、記念のジャージーが欲しいな(笑)。
























EXILE、ラグビー日本代表サポート W杯を力強く後押し
EXILEが、日テレ系で放送される「ラグビーワールドカップ2015 イングランド」(9月18日開幕)の番組イメージソング「24karats GOLD SOUL」を歌うことが11日、分かった。
同曲は“力強さ”をイメージし、重低音が響く軽快なメロディー。「まだ未踏のステージの存在があるなら止まれない」など、勝利を追求する者を後押しするような力強い歌詞が特徴で、世界との戦いに挑む日本代表にピッタリの1曲だ。
番組にはMAKIDAI(39)、TETSUYA(34)、関口メンディー(24)らが出演予定で、メンディーは「日本を背負って戦われる日本代表の皆さんをサポートできることはとても光栄です」と喜んでいる。
これまでにも、10年のサッカーW杯日本代表応援ソングや、14年ブラジルW杯のアディダスイメージソングを担当。力強い楽曲で日本代表を応援してきたが、今回の大役にもMAKIDAIは「世界の強豪チームにぶつかっていく時に、この楽曲で、みなさんの心を奮い立たせることができたら」と話している。
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  1. 2015/08/13(木) 03:55:03|
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kanakita

Author:kanakita
大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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