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堺市立 金岡北中学校 ラグビ-部

心身ともにたくましい男子を目指します!!

ワールドカップ



大八木淳史
大八木淳史(おおやぎ・あつし)
生年月日:1961年8月15日。京都府出身
日本代表キャップ数:30
RWC出場歴:1987、1991
ポジション:LO


▼ラグビー略歴:京都市立伏見工業高校→同志社大学→神戸製鋼(1985年~1997年)、現在は、学校法人芦屋学園理事長
日本人離れした体格で荒々しく突進し、FW選手として一時代を築いたのが大八木淳史さんです。同志社大学時代は、海外留学もあって計5シーズンにわたってプレーし、4度の学生日本一に輝いています。その後、日本代表で長らく活躍し、神戸製鋼でも日本選手権7連覇に貢献しました。現在は教育現場に身を置いています。「怪物」とうたわれた巨漢ロックがRWCを振り返ります。

世界のラグビー仲間と再会し、
同窓会のようだった1987年大会

私はRWCに2度参加させてもらいました。第1回の1987年、そして1991年です。
最初のRWCではオーストラリアのシドニーやブリスベンに滞在したのですが、今のような盛り上がりはなかったですね。スタジアムは満員ではなく、パブは大騒ぎにはならない。特に北部のブリスベンではユニオンはピンと来ず、どちらかと言えばリーグラグビー(13人制ラグビー=別団体)に人気が集まっていたように思います。
私は初戦のアメリカ(18-21)と2戦目のイングランド(7-60)に出場しました。
アメリカ戦は勝てると思っていましたがね。ジャパンはセットからのサインプレーの多彩さなど、戦略的には負けてはいませんでした。しかし、アメリカのデカさ、懐の深さ(オフロードパスなど)にやられた感じがしています。
イングランド戦はラグビー発祥の国と戦えることに喜びを感じていました。しかし、アメリカ戦の僅差負けが響き、がっくりしたままゲームに臨みました。結果、大差で負けてしまいました。
グラウンド以外ではそれまでに交流があった海外の選手たちと会え、同窓会みたいで楽しかったですね。サントリーでプレーするカナダのNO8グレン・エニス、イングランドのNO8ディーン・リチャーズ、スコットランドのWTBアイバーン・ツカロ、FBギャビン・ヘイスティングスらです。
私は7人制日本代表で香港セブンスに参加したり、ニュージーランドやオーストラリアに留学もしたりしていました。1987年、東京と大阪であったオールブラックス戦にも出させてもらいました。だから世界中に知り合いは多かったです。こういう再会ができたのもRWCのお蔭ですよね。

メンバー選考から漏れた失望感
夜の街に飲みに出かけた若かりし頃

そうして1991年、第2回のRWCを迎えます。この辺りから世界はプロ化へ向け、加速してきます。
ジャパンでも選手個人に初めて参加日当が支払われます。1987年は日本協会が一括してプールしていましたが、この年から個々にお金を受け取るようになりました。
ジャパンとしては参加しませんでしたが、1995年、第3回のRWCではその規模や観客動員などを見ても大きく変わり、完全にプロ化されたような気がします。その端境期(はざかいき)に私はいたのです。
1991年の初戦はスコットランド(9-47)でした。私と藤田剛さん(HO、現日本大学ラグビー部コーチ)と堀越正巳(SH、現立正大学ラグビー部監督)が試合の2日前、先発メンバーから外されました。
監督の宿澤広朗さんがなぜそうしたかは分かりません。ひょっとしたら1989年に東京でスコットランドに勝っていた(28-24)ので、宿澤さんはチームが世界レベルなった、と思われていたのかもしれません。その考えの上でメンバーを変えてやりたかったのかもしれませんね。
失望感からその夜は2人を誘って飲みに出ました。今思えば、監督の決断は絶対ですし、尊重されるべきものです。私たちの態度はよくありませんでした。ただ当時は私も若かったから、その辺りの分別がなかった。翌日、早稲田大学の先輩後輩ということもあって、一番若い堀越だけが宿澤さんに怒られていました。堀越には悪い事をしました。

RWCの勝利に貢献できたのは誇り
後進の成長を願っての現役引退

スコットランド戦はリザーブになりましたが、続きアイルランド戦(16-32)、そしてジンバブエ戦(52-8)は先発します。
アイルランド戦はアイルランドの首都・ダブリンのランズドーンロードでやりました。相手のホームなのに日本の声援が多かった。内容がよかったのでしょうね。「いいプレーには敵味方問わず拍手を送る」というラグビーの神髄をその母国で見ましたよね。
ジンバブエ戦は大差で勝ったので、あまり「うれしい」とか、「やった」とかいう実感はありませんでした。でも今考えるとRWCで唯一の1勝なんですね。その試合に貢献できたことは私にとっての誇りです。
私は「30歳、30キャップで代表を引退する。あとは会社(神鋼)のために頑張る」と決めていました。当時は国よりも、お世話になっている会社が優先されました。まだアマチュアリズムが残っていた、そんな時代でした。もちろん、「後進が伸びてほしい」という思いもあった。だからこのRWCを最後に代表からは身を引きます。
でも1995年のRWCはホストチームのスプリングボクスとオープンニング・ゲームをする世界選抜に選出されました。ジャパンの開幕戦、ウエールズ戦をブルームフォンティンで観戦できたことはラッキーでした。
1980年代後半から1990年代前半はラグビー選手にとっていい時代でした。母校の伏見工をモデルにしたテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」が高視聴率を取り、試合中継や新聞の露出は多く、常にスタジアムは満員でした。そんな中で2回もRWCに選んでもらえて、私は本当に幸せでした。

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  1. 2015/07/19(日) 03:18:12|
  2. その他

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kanakita

Author:kanakita
大阪府堺市立金岡北中学校ラグビー部です。部活動以外の行事なども写真&動画レポートします。よろしくお願いします。

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